デリカシーのない会話

「Xちゃん、どうしてるかしら」
都心に向かう中央線で母が突然言い出す。Xちゃんとは10年前に離婚した私の前夫である。

母はしばしばデリカシーのない発言をする。前夫の話題を持ち出すのは道義的には構わないが、私にも気分というものがある。母が私の気分や場の状況をみて話題を選んでいるとは思えないところが問題だ。

「さあ、連絡とってないからわからない。」
私は事実だけ答えて黙る。このやりとりをもう何回したかわからない。
母はXが気になるのだ。だから私が連絡を取っていないことを百も承知で、この話題を思い出したようにふってくる。

「この前、新聞で読んだんだけど、20歳前後で骨髄移植をした女性がね、中年超えたらあちこちに原発性のガンが出てきちゃって大変な思いをしながら治療しているんだって。Xちゃんも骨髄移植したでしょう。大丈夫なのかしらねえ」

Xは15歳で急性骨髄性白血病を患い、16歳で骨髄移植をした小児がんサバイバーだ。
小児がんサバイバーは、中年期以降のがん罹患率が高い。そのことはつきあい始めた当時から私は知っていたし、結婚し医療保険や生命保険を考えるときにはいつも彼の既往症がネックになった。

「その女の人もね、今60歳だっていうけれど、次々がんになるもんだから本当に大変そう。Xちゃんは元気にしているのかしら」

母はさも心配そうに続ける。

「孤独死コースじゃない?「オレは孤独死するんだ」って離婚する前から言ってたよ。まぁ、私も孤独死だろうけど。」

わたしも思ったままを答える。


パッシブアグレッシブの傾向がある発言を、Xはよくしていた。私がいなければ自分は孤独死するだろうとか、生きていても意味がないとか、食事をとる気力もないとか、働く意義が見出せないとか…そういうことを日常的に言っていた。彼にとっては愛情表現だったり実感をそのまま口にしただけだったのだが、言われるほうは弱い毒をずっと盛られ続けているようなものだった。

母はその後もXと私にまつわる昔話を延々していた。しかも母は耳が遠い。静かなグリーン車に、わたしの前夫の話や病の話が響く。前の席に座っていた方、すみませんでした。わたしからしても前夫の話題は公共の場でわあわあ話したいことではない。家族や身内しかいない場所でしてほしい。プライバシーの意識が希薄すぎないか?

それにしてもこの会話になんの意味があるのか。甚だ疑問だ。

もしかしたら、母にとっては、娘が結婚して二馬力の生活を送っていた頃は「心配無用のよき思い出」なのかもしれない。つまり、ポジティブな思い出だから口にすることに抵抗がない。娘も多分同じはず、という思考か。

仮にも20年間一緒にいた相手だ。確かに「安心」で「幸せ」だった頃もあった。そんな時間を共に過ごせたことに感謝している。

だが、今更、Xの現在を勝手に想像して心配したり話題にしたりするのは要らぬお世話だ。

Xの気性からしても許し難いことだろう。彼は、自分へ向けられた関心を「許せるもの」と「許せないもの」に瞬時に峻別し、後者については猛烈に反発して怒る人だった。離婚という出来事を経て、わたしも母も「許せない」カテゴリーに分類され固定されている。たとえ彼の預かり知らぬ場所であったとしても、話題にすることは遠慮していただきたい。
相手が嫌がることはしない。それだけなのだが、母にはそれが難しい。