違和感は嘘をつかない

ted's coffee in Boulder CO

今年の8月から小さな違和感もひろいあげるよう心がけて過ごしています。

金星も水星も逆行しているタイミングですし、先に先にと焦りながらガツガツ進むよりも、じっと暗がりを凝視するようにして過ごしています。

不都合なこともみないとなりませんが、なににひっかかっているのかと、なにをこれまで手にしてきたのかをちゃんとみてみると、思いもかけないような選択肢が納得とともに浮上してきたりもしておもしろいもんです。

残念な選択

わたしはこまかいことがいちど気になりだすと、それがずーっと頭から離れずストレスになるタイプなのですが、「こうしたい」「かくあるべし」の思い込みや「さっさと決めたい!」の気持ちなどが強すぎるあまり、残念な選択をすることがしばしばです。

じっくり探せばいいのに「もうこれでええわ。邪魔くさい」みたいなことをやっちゃったり、ほんとのほんとに味わいたい感覚・感情を優先せずに合理性や利便性、見栄を優先して決断してしまったり。

その結果、満たされない気持ちに陥ることもあれば、「ああ、なんかここが気になる。気持ち悪い」という違和感に苛まれたりするわけです。

おいしいフレンチフライが食べたい!皮付きのやつ!って思っていたのに、冷凍庫には皮無しの冷凍フレンチフライしかなくて「あー。まぁこれでもいいか」と作って食べた時の落胆というか敗北感というか満たされない気持ち、みたいな(伝われ

モノを買う時にはたいへん慎重になる(特にインテリアや日常遣いの道具を買う時には決断までに年単位かかります。カートに入れてからそのまま数ヶ月とかもざらです)くせに、それ以外では雑というか、感情と感覚の満足を置き去りにした決断をしがちだったとわかりました。


うちは父親が感情優先で怒鳴ったり叩いたりする人でした。わたしは鼓膜を2回ほど破られてます。今だったら児童虐待で通報モノですね。
母は荒れる父から子どもを庇うことはせず、じっと静観する人でした。母が子を庇ったら父がよけいに荒れ狂うからなのですが、幼い子どもからしたらどこにも逃げ場のないしんどい状況です。

感情にまかせてわたしをコントロールしようとする父のことも、合理性を優先してわたしの安全安心の優先順位を下げる母のことも、どちらも憤ろしくてつらかった。

コミュニケーションや感情表現、人間関係を学ぶ過程でこんな思いをしていると、自分の感情の取り扱いに混乱が生じます。
感情をだすのはわがままでよくない、人に迷惑をかける、人が嫌な思いをする、感情でなにかを決めるのは悪いことだ。それより論理的に考えて決めて行動しよう。いつも理路整然としていないと人としてダメなんだ…という極論で自分を律してしまったり、我慢を溜めこんだあげくに感情を爆発させたりします。

​感情も理屈もどちらも大事

感情も理屈もどっちも大事。
特に感情は理屈より先に在るもので、かつ、いつまでも消えません。
理屈で押さえ込んでも、自分を欺いて無理にでも納得しようとしても、抑えこめるものではない。だから感情はたいせつにする必要があると認められるようになるまで、かなり時間がかかってしまいました。


自分の心をネグレクトせず大事にするのは、口で言うほど容易いことではなさそうです。