長年お世話になっている方から、ミディアムシップのセッションを受ける機会に恵まれました。
ミディアムとは日本語に訳すと「霊媒」「霊媒師」ですが、わたしの受けた英国式のミディアムシップはいわゆる口寄せや降霊術とは異なります。おどろおどろしいオカルトの世界ではなく、むしろその対極にある印象です。
わたしには霊感がなく幽霊で怖い思いをしたとかもないため、不安も懸念もなく、この方が提供してくれるものなら善きものだという信頼だけで受けました。
zoomでカメラをオンにしてセッション開始し、すぐに驚きの情報がミディアムから告げられます。
「ほっそりした長身の70代ぐらいの男性がいらしてくれました。近い親族というより少し距離のある親戚ぐらいのご関係のように感じます。身なりは勤め人のようなシャツを着ていらっしゃいます」
えっ どちらさま…?と一瞬面食らいました。うちの親戚で「ほっそりした長身の高齢男性」ですでに亡くなっているとしたら、Mおじさんしかいません。(大体うちの親戚はみんなガタイがいい)このおじさんは、父の叔父で、わたしからみたら大叔父にあたります。生前、あまり頻繁な交流があったわけではなく、お盆や法事、お正月にご挨拶をする程度でした。
「物静かな方で、あまり自分から喋るようなタイプではないですね。この方は文化や外国に対しても強い興味をお持ちだったようなので、実際にお仕事で外国に行かれたりすることもあったのかもしれません。農家さんとかの雰囲気ではないです。洋館に住んでいらっしゃったことがあるようです。
貴族趣味というか、成金趣味ではないですよ、いいものを大事に使うような方だったようです。インテリアや身の回りの品に対する趣味がよくて、暮らしの美意識がきちんとしていらっしゃる。
長生きされていますね。お顔立ちは卵型か面長です。」
意外な人がきた
やや面長で長身、長命で物静かなタイプといったら、もうそれは大叔父のMおじさんしかいません。Mおじさんは寡黙でどことなく品がよく、だからといってお高くとまっているような感じではなく、子どもだったわたしや兄に対しても厭ないじりをしてくることなどいっさいない人でした。まるで鶴のような人だなぁと子供心に感じていたものです。
「意外な人がいらっしゃることも多いんですよ。生前、さほど親しかったわけではない人がやってきて「え!あの人が!?」とクライアントさんが驚かれることもよくあります。
どなたがおみえになるかはタイミングで決まります。今回みたいに意外な方がおみえになることもありますが、いらしたのにはちゃんと理由があります。どうしておみえになったのかや、ミディアムシップ・セッションで伝えてくださるメッセージをしっかりと感じて受けとめてみると、豊かな体験になると思います」
ふむふむ。なにか理由があるのか。
はて、理由…って、なんだろう?
わたし、今日ここにMおじさんにいらしていただくような、なにか強く印象に残るようなことを生前にしたっけかなぁ…と頭の中でぐるぐると理由を探します。
正直、思いつかない。
そもそもMおじさんとのエピソードがないうえに、わたしは昔のことをすっからかんに忘れて生きているタイプなのです。あわわ
「このおじさんが、利香さんの暮らしぶりや、投稿記事とかをコツコツ書いていることを「いいね」と言ってくれていますよ。そこにとても共感してくれているみたいで、なにかご自身とも共通するものを感じているから来てくれたんだと思います。お見えになっていた理由は、「やあ」という感じではありますが、利香さんの今の生活や暮らしの積み重ね、生き方が好きで、応援している。同じ親族として利香さんを見ていて、何かシンパシーのようなものも感じていらっしゃるように感じました。」
これが意外すぎて、呆気にとられてしまいました。おじさんとわたしは互いの暮らしぶりや興味のあることなどを話すような間柄ではありませんでした。また、うちの親がわたしの書くものを見せたりするはずもない。
なのにどうしておじさんはそれを知っているんでしょう。
やはり、「今、あっちから見ている」としか言いようがありません。
生前の”故人”情報
今回は練習ということで受けさせてもらったセッションだったので、答え合わせのため実家にいって両親にMおじさんの情報を聴取。八十を越している両親は話があちこちに散らかっては広がり、主語はいつの間にかすり替わり時系列も飛躍するものですから、きいているこちらも混乱してきます。
しかし聴いてよかった。
Mおじさんがどんな仕事をしてこられたのかがかいま見えました。
Mおじさんは学校を出た後、東京都文京区本郷で文具店に勤めていました。東京大学も近くにあり、学生や大学教授もよくくる店でもあったようです。
戦争が始まり徴兵され、近衛師団に属して馬の世話をしていたそうです。そのまま、海外の戦地に赴くこともなく終戦を迎えます。これはほんとうに運が良かったとしか言いようがありません。
戦後、神奈川県某市の製パン企業に職を得ます。営業担当者だったようです。そこに小麦粉を卸していた業者の娘と恋仲になり結婚。その後、現在の荒井商事に就職。青物部門の代表を勤めあげて退職という職歴がわかりました。
叔父さんは、M家の末っ子でした。
・長女(若い頃に関西に縁付き、疎遠になったためもはや足跡も追えない)
・次女(結婚後もM家の隣に住んでいた)
・三女(結婚後は東京都に住んでいた)
・長男(滋賀へ転出?今となっては不詳)
・四女(わたしの祖母)
・次男(Mおじさん) という六人兄弟だったようです。
M家は女性が強く、悪童だった父はふたりの伯母からよく叱られては煙管でひっぱたかれたりしていたそうです。
その中にあってMおじさんはひょろりとやせぎす、大人しくて静かな人であったから、強い姉たちからは軽んじられていて私の祖母は「あの人までが徴兵されるなんて、日本は負けるなと思った」と言うほどでした。ひどい。
まだつながっているんだよ
こういう話もミディアムシップのセッションを受けなければ、わたしは知らずにいたことでしょう。
親戚とはいえ、世代も性別も異なり住んでいる場所も離れていたら、その人がなにを愛し、どのような価値観を大切にし、どんな人生を歩んだのかなどわからないものですね。
調べてみたらMおじさんは洋館に住んでいた時期もありました。
100年前の関東大震災で神奈川県にあったM家は倒壊してしまいます。M家の家長(Mおじさんの父)はそれに代わる家を急拵えで建て、数年後に経済的余裕ができてから別な場所に新しい家を建てたそうです。その家は「森の中の西洋館」と近所の方に呼ばれていたそうです。(太平洋戦争で焼失)
わたしが知っているM家は戦後の紆余曲折を経てMおじさんが建てたおうちで、残念ながらわたしはその「森の中の西洋館」をみたことがありません。
Mおじさん夫妻は猫と九官鳥を飼っていらして、おうちの玄関を入ってすぐ左手には小さなサンルームのような空間があったこと。そこに藤の椅子や蘭の鉢などが並んでいたこと、綺麗好きで常にホコリひとつないおうちだったこと、噂話や他人を値踏みするようなことなどひとつもしない人たちだったことを思い出しました。
ミディアムシップのセッション中に伝えてもらった「暮らしに美学をもって、身だしなみや身の回りが常にきちんと整った生活をしていた」というMおじさん像も、とてもしっくりきます。無口すぎてミディアムに情報をあまり自分から開示しない様子も、さもありなんと納得です(ミディアムとしては困ると思うんですが)。
うちの父が下世話な話をしても、まったく関心のない様子で「ああ、そうなの」と話をスッと流してとりあわず飄々としているMおじさんを、わたしは好ましく感じていました。
しかし、わたしがものごころついたときには、Mおじさんはすでにおじいちゃんでしたので、違う世界に生きている人のようでした。共通の関心事や価値観などがあるかもしれないなんて、想像したことすらありません。
そのおじさんがわたしを励ますように温かく見守ってくれていると知り、もっといろんなことを話しておけばよかったと悔やむとともに、とてもありがたく、嬉しい気持ちになりました。
死によって途切れてしまったかのようにみえる繋がりがまだつながっているんだよと、寡黙なMおじさんがさりげなく教えてくれたような、そんなミディアムシップ・セッションでした。
受けてよかったです。
このミディアムシップ・セッションがきっかけでこのブログも誕生した、というのはまた別のお話ですから、次の機会に譲ります。
わたしにミディアムシップのセッションをしてくださったのは Keiko Nakamura さんです。
https://www.blossomcareroom.com/
ご興味のある方は、ぜひブログやStandFMでの配信などでKeikoさんのヒーラー、ミディアムとしての凛とした佇まいを感じてみてください。