丁寧な暮らしの根っこには

夕暮れの空

「丁寧な暮らし」ということばが出てきたのはいつからでしたっけ。
ちゃんとしらべたわけではありませんが、スマホが広まり、SNSで発信したり友達とコミュニケーションをとったり、連絡には即レスすることが一般的になってきたころからのような気がします。

スマホとパソコンをいじっているだけで、時間をあっという間に溶かしてしまう。何時間もずっとディスプレイを覗き込んでいたせいで、頭はぼんやりし、体の疲労感もひどい。つい、面倒になって食事とかお風呂とかをいい加減に済ませることになる。服や食材も手軽さ重視でネットで買ったり、なにを買うにもコスパやタイパを重視して決めている。
以前ならちょっと足を伸ばしてお店をまわってみたり、実際の生地に触れてみたりして決めていたのに。

そんな生活にたいする後ろめたさみたいなものが、「丁寧な暮らし」称揚の根っこにあるような気がします。

でも、便利なこと、その手段を選ぶことはべつに悪いことではありません。
生活には優先順位がつきものだし価値観も人それぞれ。できるかぎり納得と満足のゆく選択をするだけのことです。
他人と比べて「丁寧じゃないなぁ」と恥じる必要はないはずですよね。

それなのになんとなく後ろめたく感じるのなら、「ほんとはこうしたかったのに」という小さな不満や後悔が、心のどこかに隠れているのかもしれません。

ほんとはちゃんとごはんを作って食べたかった。
ほんとは綺麗な湯ぶねでたっぷりのお湯につかりたかった。
ほんとはスマホはおいてゆっくり本を読みたかった。
ほんとはインスタントじゃなくてハンドドリップのコーヒーを飲みたかった。




丁寧な暮らしは、手間暇かけてお金もかける暮らしではないと思うのです。たとえば、3時間かけて豚の塊肉を調理したり高価な民藝家具を使ったりさえすれば「丁寧に暮らしてる」と言えるわけではありません。ましてやりたくもないことを「丁寧に暮らすために!」といって頑張ってやったとしても、ちっとも嬉しくありませんよね。
丁寧な暮らしの根本は、自身がほんとうに求めている満足、味わいたい感覚や感情をみつけて最優先することにあるのではないかと思います。