適応障害から復活していったとき、医師から「なにかしましたか?」と訊かれた。
「帆布のバッグをたくさん縫って、自分でオンラインショップ作って売ってました。そこから元気になってきた気がします」と伝えたら、「手を動かすのは治療に効果的でとてもいい」と教えてもらった。
何かを創ることは確かに心のバランスを取るのに効く。
鬱々とした気分のときに、じっと俯いて心の内側を凝視していると更に悪化する。手を動かしたり身体を動かしたりするだけで、落ち込んだ気分やその原因から意識が逸れてくれる。久しく忘れていた「快」の感覚が蘇ってきて、スッキリする。
頭の中が忙しいタイプは集中するほうがいい
マインドフルネスブーム以来、瞑想をやたらと勧められる。
心を静かにするとかいうけれど、頭の中がいつも騒がしいタイプには向いていないようだ。
これまで何度も瞑想にチャレンジしてきたけれど、わたしにはストレスだった。多くの場合、大声で叫び出したくなるか、瞑想の後に鬱々とした気分がひどくなるか、皮肉な気持ちになるかだ。
稀にいい感じになることもあるけれど、鬱気味の時にやる瞑想は総じてbad experience8割だった。
落ち込み気味のとき、集中力をなにか一点にふりむけるほうがわたしには効果的だ。
もともと過集中になるタイプだから、猫の毛並みを鉛筆で一本づつ描きこむとか一心不乱に布を裁つとかのほうが、よほど瞑想的な体験になる。
作業に集中しているときは、嫌な記憶や偏った思考パターンから自由になれる。「あれ。そういえば忘れてたわ」という感じで、普段のモードに戻った時には「まぁいっか」と思えるようになっていたりもする。
不器用な人ほど手足を動かすのが気分転換になる
「手を動かすなんて不器用だからやれない、やりたくない」という気持ちもわかる。
わたしも不器用だ。ながらくわたしは器用だと勘違いしていたが、真の器用は脳と手足がちゃんと連携している。わたしの手足は脳からの信号をどうもうまくキャッチできていない。狙ったとおりにウールの布を裁てないし、ダンスでは簡単なステップすら踏めない。ドラムも叩けないし字も下手だ。
で、不器用だから非常に集中して作業にあたる。マルチタスクで適当にやれないため、頭の中は目の前の作業のことだけでいっぱいになる。その結果、嫌なことを忘れる。
出来映えは二の次でいい。
請負い仕事ではないんだから失敗しても誰にも迷惑はかからない。
心を癒すためには作業というプロセスそのものが大事で、作品の評価は自分の心がきめればよい。
趣味がなければ料理がお勧め
しかし、心が弱っている時に新たな趣味を始めよというのは酷な話だ。ましてやアウトドア系や運動系の趣味は、元からそういう趣味がなければ更にハードルが高い。
そんなときには料理をするのがお勧めだ。
野菜の皮を剥く、茹でる、切る。
肉を切って下味をつけ、焼く。
魚の切身をグリルで焼く。
その間に調理道具を洗う、拭く、片付けたり出したりという作業も発生する。できあがったものを器に彩りよく盛り付ける。薬味や食器の組み合わせを考えたりして食卓に並べる。
不慣れであるほどに調理は集中力の要る作業だ。段取りどおりうまく運んだ時にはひとりでちょっと得意にもなれる。
食べることに集中するのもお勧めしたい。
動画など観ず、いま食べているものを目でも舌でもゆっくり味わう。出汁の味や香りの複雑さを愛でるのもいい。このお米の銘柄はイマイチだったな〜とか、冷めてもこのおかずはおいしいわとか品評したっていい。
心を取り戻すってどういうこと
クリエイターの のもとしゅうへいさんが、今年の夏ぐらいからX(旧Twitter)で始めたシリーズ投稿がある。仕事で心身に不調をきたして休職した人が、自炊をきっかけに少しずつ感覚を取り戻してゆくというものだ。
何を食べたいのかもわからなくなっていた人が、お味噌汁をつくったりババロアを作ったりしては味わって食べる。その過程で好みの味やほっとできる味などを見出し、自分の手で料理を作り上げたことに自信を深めてゆく。
食材の質感が指先に伝わってくるような淡い色彩のイラストの美しさも素晴らしい。強い色は使っていないのに立体感を感じさせる陰影がノスタルジックで、いつも胸が締めつけられる。
心をとりもどすとは、体と心をふたたびつなげることだ。
わざわざクリエイティブな趣味をみつけなくてもよい。
むしろ日常生活そのものの小さな営みにこそ、心身を癒す細い糸口があるのだ。