文脈と想像力

職場でおそろしいことに教育係を担当することになった。
昔なら「おそろしい」なんて感じることはなく、鼻息荒く得意がってやっていたろう。
「これはこうしてください」「あれはああするのが正しい」と言いきることに躊躇いがなかったし、「習うより慣れろだ。最初はお手本通りにやっていればいい。そのうち意味がわかってきたり場数を踏んだりして自分で判断できるようになる。みんなそういうもんだ」と思い込んでいた。

なんという勘違いをしていたことか。

唯一無二の正解や無難なお手本などない

事務職にいると、完璧なお手本を欲しがるタイプの人も少なからずいる。
不慣れな仕事にとりかかるときは、誰しも不安だ。だから「これと同じようにしていればよい」という、万能かつ無難なお手本がほしいのだ。その気持ちもわかる。

だが、そういうものはない。
なにが正解かはすべて文脈や対話相手のニーズで決まるからだ。
たとえばパウンドケーキの作り方を誰かに説明する時を考えてみてほしい。
お菓子作り歴20年の人に説明するのと、お菓子作りに興味のない小学生に説明するのではわけがちがう。それぞれに適した表現、見せ方、情報量がある。どう説明したら伝わるかな、興味を持ってもらえるかな、子どもでもおいしく作れるかな、と想像力を駆使して説明に工夫を凝らすはずだ。

正解は文脈が決める

わたしたちが日々行なっている顧客や社内でのコミュニケーションも同じだ。
相手の属性や理解度などによってことばや情報量を調整する必要がある。
知財部門ががっつりあって専門の担当者がいるような法人と、社長兼営業兼エンジニアで生まれて初めて特許出願をした経営者とに、同じ文章を送るわけにはゆかない。

だから万能で完璧なお手本と呼べるものは、残念ながら、ない。

自分の安心を目的よりも優先していないか

お手本を欲しがるときは、たいてい、自分の安心が念頭にあるときだ。
「これと同じようにしていればよい」の「よい」に、「上司からも顧客からも文句を言われない。自分の不手際を責められることがなくてイージーモードでいられる」が含まれているときとも言えよう。

対顧客の仕事をしている時に、これはあまりプラスに働かない。

顧客と円滑なコミュニケーションをとってやるべき手続きを正確にすすめる。これが目的なのに、自らの保身がそれより先立ってしまっている。
こうなると、いきおい文章は歯切れが悪くなる。婉曲表現や不要な言い訳めいた説明が増える。もしくは言葉が足りなくて、相手と自分の認識にズレが生じたりする。

想像することも仕事のうち

事務職は顧客との窓口になる役割がある。有能なコンシェルジュのように臨機応変で的確な対応ができるのが理想だ。

メールやチャットアプリでのやりとりでも、画面の向こうにいるのは生身の人間である。だから、相手に応じて文を練るのも仕事のうちと思っている。この人は忙しい人だから1回のメールで求める回答はふたつまでにしておこうとか、想像して気を配ることも大事な仕事なのだ。

もちろんその想像が的外れになることもありえる。
だからなにが正解なのかなどわたしに断言できるわけもなく、それゆえ教育係がおそろしい。