暑い時の贅沢として、水出しの緑茶と白茶を愛飲しています。
水出しのお茶を作ったことがある方ならご存知と思いますが、作るのには一晩、8時間ほどかかります。
何時間もかけてゆっくり抽出された味と香りを味わっていると、まるで時間そのものを味わっているような気持ちになります。
と書くとたいへん優雅に聞こえますが、「8時間かけて作ったのにゴクゴク飲んだらあっという間になくなっちゃう…」と、疲れている時なんかはちょっと切なくなってしまうのが凡夫の哀しさ。
翻って考えてみると、お茶が茶葉として育つ過程から起算したら、わたしがおいしい冷茶にありつけるまでの所要時間は8時間ではききません。お茶の木を育てて手入れして、茶葉を摘んで加工し発酵させ、パッキングして出荷する。それが店頭に並ぶまでに一体何ヶ月かかっていることか。さらに遡れば、そのお茶の木はいつその地に植えられたものなのか。その親の木となったものは?またその親の株は?・・・そこから考えたら、わたしの手間など「たったの8時間」とも言えます。
似たようなことを卵を食べながらふと感じます。
今年は鳥インフルエンザが流行ったせいで、生協で予約している鶏卵もまったく届かなくなりました。
生産者さんと生協の担当者さんたちのがんばりのおかげで、数を減らした6個入りパックの供給が7月から始まりましたが、8月も9月もおそらく6個入りのままだと思います。
なぜなら雌鶏が十分なサイズの卵を産めるほど育つまでに半年近くかかるから。
ひよこは卵を産めません。人は鶏が卵を産めるようになるまで待つしかない。卵を「卵」という商品としてだけみていると、こんな簡単な事実も忘れてしまいます。
わたしたちが美味しい卵を食べるまでに、たくさんの時間がかかっている。
シンプルな茹で卵も、実は大変な贅沢品じゃないの!そんな気持ちになります。
食べ物に限らず、その手にしているスマホだって、原材料まで遡ったらどれほどの時間がかかっていることか。もちろん、テクノロジーだって数ヶ月でここまでのレベルに到達したわけではありません。
身の周りの品を見渡してみると、かなりの贅沢を現代の人間は享受しているんですよね。あまり自覚していなかったけど、これを「恩恵に浴する」と言わずしてなんと言おう。
さて、今夜も冷茶を仕込みますか。