町田康『膝のうえのともだち』

猫「ブーム」が嫌いだ。「ブーム」で命を消費するようなふざけた態度は無礼で傲慢で醜い。
猫はヒトの娯楽のために生きているわけではない。動物の見た目の愛らしさを「癒される」「かわいい」ともてはやすだけの無責任さには辟易する。

猫と暮らすということ

猫はおもちゃではない。
意思があり行動し病気にもなる。
彼らの命と健康と暮らしの質について、猫と暮らす人間は全責任を負っている。

猫には清潔な住処と食餌と水を提供し、排泄物をすぐに片付け、ブラッシングや爪切り耳掃除などもこまめにしてやらねばならない。普段とちがう様子をみたら通院するかどうするかを即座に決め、病院では治療方針を決め、投薬や療法食などのケアもとどこおりなく実行する。そういう日々を数年、十数年続けることが、猫と暮らすということだ。

猫はパートナー

世話をするからといって、猫を赤ちゃんあつかいするのも違和感がある。
「猫には人間の5歳児ぐらいの知能がある」などと言われるが、それは人間の定規で測ったらの話である。ことはそう単純ではない。5歳児レベル以上の行動を猫がみせることもあるし、家族内で人間関係に配慮した態度や人の感情への思いやりをみせることもある。
それに、鋭い牙と爪で猫がその気になれば人間なんかボコボコにできるだろうに、猫はちゃんと手加減して人間に接してくれるのがすごい。なんと徳が高いんだ。

猫は生活を共にするパートナーでありバディだ。
彼らの意思と在りようは尊重されるべきだし、「こういう猫がかわいいよね♡」のような一方的な思い込みを押しつける失礼があってはいけない。

猫と暮らし、猫を見送る

ここまで読んで「うんうん。そうやんな」と思える人にだけ、こちらの本を勧めたい。
町田康『膝のうえのともだち』(講談社 2010)

こちらは町田夫妻がこれまでに一緒に暮らしてきた猫たちの写真集だ。人様の猫の写真、しかもプライベートな自宅写真を何枚も拝見するというちょっと奇妙な体験になる。しかし、猫好きにとっては、他人の猫も愛らしく見えるものだ。だからそこは大した問題ではない。古いフィルム写真におさめられた町田家の猫たちの写真をみて、「やるよね、こういうこと」「うわっ子猫だ。かわいい」などとニヤニヤしているとランダムに挿入された短い一文に不意打ちをくらう。

一緒に生きたことを記憶の中で美化するのではなく、
すべてのことをなまなまと覚えていたいから。

町田 康『膝のうえのともだち』(講談社 2010)

猫と寝食を共にし見送ってきた人だけが書けることばが、いきなりやってくる。
その途端に、読んでいるこちらは猫を亡くした傷が開き血が噴き出るような思いをする。

そういう体験をしてしまうので読むタイミングを選ぶ本だとも言える。猫を亡くしたばかりの人にはつらいだろう。
それでもこの本を勧めるのは、猫との暮らしがどれほど愛や喜び、学び、驚きに満ちているかを思い出させてくれるからだ。

小皿についたカレーを舐められたと知って倒れそうになったこと。(玉ねぎ中毒を起こすリスクがある)
新しい羽毛布団をおろしたその日にシッコテロをされ、猫の主張に向き合わざるを得なかったこと。
夫婦喧嘩が始まると必ず仲裁にはいってきたこと。
新しい猫ベッドを奪い合って、へっぽこ猫パンチの応酬になったこと。
普段は仲が悪いのに、相手がシャンプーされて絶叫していると心配して浴室までやってきたこと。
ブロッコリーを切るだけで台所へ飛んできて、茹で上がるのを足元で待っていたこと。
病にたおれてからも最後まで自力でトイレにいったこと。
下ろされても下ろされても何度も膝にのぼってきたこと。

人様の猫の写真をみてニヤついていたはずが、いつしか記憶の中のかつての愛猫たちの様子をなぞり愛おしんでいる。

猫ロスの悲嘆がやわらいだら、また、今は猫と一緒に暮らしていないけどまた暮らしたいと思っている人に是非手にとってみてほしい。