音の記憶、音楽の記憶

我が家は親が「テレビを観るとバカになる」「低俗な歌謡番組など、もってのほか」という教育方針だったため、小学生のわたしはピンクレディもキャンディーズも知らずドリフも滅多に目にすることもないという環境で育ちました。ドンピシャの世代であるにも関わらず、同世代とそういう体験を共有できない味気なさを時々感じます。

しかし、オーディオセットを触ったりレコードを勝手にかけたりしても全然お咎めがなかったので、クラシックはたくさん聴いておりました。子どもがレコードやステレオ、レコードプレーヤーの針交換も含めて触ってもOKって、いま考えるとむしろすごいなと思います。娯楽に乏しい郊外の住宅街だったこともあり、なんども繰り返し同じレコードを飽きもせずに聴いたことを憶えています。

記憶の中の曲が名無し

ところが残念なことに、子どもにはジャケットに書いてある英語など読めないし、日本語で「ピアノ協奏曲⚪︎長調」か書いてあってもなんのことやらさっぱりだったため、誰の演奏するなんという曲かなどひとつも記憶していません。

大人になって困ったのは、クラシックのCDを買った時に、その演奏が記憶のなかにある演奏とは異なっている場合でした。
もはや原体験レベルで沁み込んでいるので、すこしでも表現や音色が違うだけで違和感を覚えてしまうんですね。弦楽器は特にそうです。わたしはバイオリンの音色が苦手で、バイオリンが主役となる曲には興味をもたずに40代になりました。

ハイフェッツの演奏

45歳になったころ、ひょんなきっかけで、わたしが唯一好きなのはヤッシャ・ハイフェッツという名バイオリニストの演奏であると判明し、そこからはハイフェッツの演奏によるバイオリンの曲を次々と聴けるようになりました。

その中に、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲がありました。1957年のシカゴ交響楽団との演奏がまさにわたしが子どもの頃に聞いていた演奏だったのです。何十年と聴いていなかったその演奏をふたたび聴いた時、水底に沈んだ宝物をひきあげたような感動をおぼえました。この頃のシカゴ交響楽団は第一黄金期と呼ばれているそうですが、うちにも何枚かシカゴ交響楽団のレコードがあったと記憶しています。明るく伸びやかで派手な演奏で、希望に満ちています。

そしてメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調(ボストン交響楽団、1959年)も見つけだし、ようやく自分の耳に残る名演奏が判明してほっとしました。頭の中で鳴り響く「あの曲」に名前がついてハイフェッツと紐づけられて一安心です。

ハイフェッツの出現により、20世紀のクラシックバイオリンが変わったといわれています。そんなハイフェッツの凄さは、こちらのシャコンヌでも実感していただけるかと思います。ぜひ大きめの音量で聴いてください。


正確で格調高い演奏と称されるハイフェッツの演奏をステレオで聴いて育ったら、並みのバイオリニストの演奏は受けつけなくて当然…と書くと鼻持ちならない奴のようですが、クラシックではわりとよくある現象みたいです。

名演奏、名盤と呼ばれるものを繰り返し聴いて、頭の中にそれが沁みこんでいわばお手本のようになっていると、他の演者によって演奏されたものを無意識に頭の中のお手本と比べてしまうんですね。
クラシックも、指揮者や演奏する人の解釈や表現、技巧によって曲の表情が大きく左右されます。そこがおもしろさでもあるのに、お手本が完璧すぎると、楽しみの選択肢の幅をせばめてしまいます。10年ほど寝かせてみましたが、わたしの「バイオリンはハイフェッツ一択」に変わりはないようです。

目下、中古CD店をまわってハイフェッツの「The Complete Stereo Collection Remastered」がでてないか漁っています。
たとえ出ていたとしても高い!販売時の8倍ぐらいになっていておいそれと買えない(わたしの感覚では)。
他にもRCAが出した全集的扱いのものもあるのですが、10万円近くします。そしてレコードなんです。
ハイフェッツのためだけにまたレコードプレーヤーを買うかもしれません。
https://store.shopping.yahoo.co.jp/good-music-garden/gmg-0888430953420.html