2025年が始まったと思ったらもう2月も3週目という事実に、慄いている。光の速さで年月が過ぎ去ってゆく。
日々せわしなく過ごしているなかで、頭の中にいろいろなことが浮かんでは消えてゆく。言葉として落とし込む時間を作るのすら、今は億劫になっているので仕方がない。
休職していた同僚が辞めた。それにともなって作業量が増え、毎日が怒涛のようにすぎてゆく。
人が減ればひとりあたりの仕事量が増える。これまた仕方がない。
私の勤め先は社員全員がフルリモートで働いている。
完全ペーパーレス(書類はすべて電子データ)、チャットとメール、時にオンラインミーティングをはさみつつ、朝から晩までひとりデスクに向かって黙々と作業をする。一人暮らしだと「今日は猫としか話さなかったな」という日が週に5、6日になる。
リモートワークでは互いにデスクの状況や顔色、雰囲気が見えない。
そのため、常に複数の人たちから質問されたり指示が飛んできたりする。オフィスのある会社なら、Aさんに用事があってもAさんがBさんと話していたらそれが終わってから声をかけるものだ。が、フルリモートだとそういう「順番を待つ」とか「空気を読んでちょっと様子をみる」とかがない。
いうても顧客対応に追われているときに「本日中に提出必須」の書類が飛んできたりする程度でしょ、と思ったら甘い。
見積書作成や修正、メール返信、顧客側のアプリを使っての納品、対庁書類のチェック、アルバイトさんからのダブルチェック依頼がたたみかけるようにやってくる。そういう時に限ってややこしい質問がきたりもする。
全体の作業量として平らにならしてみたら自分のキャパシティの7割程度でも、毎日こんなだと、気持ちの余裕はなくなる。
社内コミュニケーションツールはSlackというチャットアプリで、諸々の事情から社員同士のダイレクトメールは禁止されている。オープンな場でコミュニケーションしましょう、ということで、よくもわるくもいろんな場面を目にすることになるし、「晒される」ことにもなる。
チャットアプリだから当然文字と文章によるやりとりが8割で、これまたよしあしがある。文面だけでは伝わらない事柄はやはりある。
同じ空間に身体を置いて、相手の発している雰囲気などを感じることもない。非言語コミュニケーションも含めたやりとりが無意識に行なえる環境とはまったく異なるのだ。
フルリモートは孤独である。
他人と喋ったり構いあったりしつつ働くのが好きだったり、数字やテキストで判断される立場に不慣れだったり、ちやほやしてもらいたかったりする人には、まったくお勧めできないドライな心理環境だ。
だが、ミスを個人のせいで終わらせることはないし、頑固だったりマイペースだったりしても「まぁ、そういう人もいるよね」「あの人の働き方はこういうものなんだよね」と寛容だし、感情面で誰かを非難したり排除したりもない。
誰かを敵にして感情的なつながりを強めるようなこともしないし、ランチにゆくとか行動をともにすることによる政治もない。群というよりチームという感じだ。同僚をみてもぼっち要素強めの人が残っている。常に5人ぐらいで絡んでいるようなグループを横目にみつつ、好きなことをして過ごすタイプというか。
もっとも、ドライな関わりが向いているマイペースな人が残っているだけかもしれない。
この環境と社風が合わない人が「フルリモートって便利そう」と思って応募してきてしまうと、大きなミスマッチが起こるのね…と、これまでに辞めていった人たちを見ているとつくづく思う。
職場の人間関係にウェットさをもとめる人や、仕事で承認欲求も満たしたい人には、フルリモートはお勧めできない。
今回辞めた同僚は抜群に人懐こい性質だった。群れない淡々マイペース人間の中ではつらかったろうと思う。彼女がその良さを活かせる職場で活躍してくれたらいいなと心から願っている。