断るという選択肢

彩り、暮らす。の画像

期間限定ショップを開店するのにドタバタしていて、肝心のこちらでの告知を怠っておりました。
はい。2024年6月9日の午前10時からショップオープンしております。

https://irodorikurasu.easy-myshop.jp

ありがたいことに、オープン直後に7点もの商品が売れました。
これからの季節、大柄や色が強めの夏物服を着ることが増えるから、シンプルなバッグが欲しいよね!というわたしの予想を裏切り、個性的なバッグから売れてゆきました。

黒い帆布のミニトート
こういうパンチの効いたものから旅立ってゆきました

シンプルなバッグはバッグチャームなどで飾ってみるのも楽しいです。柄物の服にも気兼ねなく合わせられます。シンプルな緑や紫のミニトートもかわいいので、もし迷っている方がいらしたらぜひこの機会にお求めください。

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今回の体験で気がついたことをブログに書き残しておきたいと思います。
テクニカルな内容やマーケティング的な内容ではありません。自分を縛り付け傷めつけていた思い込みについてです。

好き勝手にやるからこそ楽しい

帆布製ミニトートバッグのデザインを考えたり縫ったりしている時、とても楽しいです。ステッチの糸の色、糸目の幅、組み合わせる素材の色や質感などの要素をひとつひとつ考えて、手を動かして布を立体にしてゆく工程が楽しい。他のあらゆることを忘れて文字通り没頭しています。
好きなものを好きなように好きなタイミングで創るからこそ、楽しいんです。自分のアイディアが具現化されてこの世界にあらわれゆく工程が、自己表現そのものであり心の栄養になっている実感があります。

だから「それが縫えるならこれも作って欲しい」とリクエストされても、応じられません。

それは他人のニーズで、わたしの内側から湧き出てくるクリエイティビティの具現化ではありません。とうぜん苦痛に感じます。

仮に応じたとしましょう。ベースが苦痛であるところに、コミュニケーションコストがかかったり他人の好みを優先したりと負荷がかかります。その人が言語化能力に乏しい人だったり、設計図やデザイン画を描けなかったりした場合、ゴールの共有に膨大な労力と時間を割くことになります。わたしはこういうプロセスに楽しさと喜びを感じないタイプです。
職人になるとか、どんな要望にも応えられるようになる等の目標がないのに、自己表現を犠牲にしながら苦労してまで他人のニーズに応じたくないのです。
ごめんなさい、それはわたしにはできません。そうお断りしたほうが心が楽で、その後の関係性も良好なままに保てます。

「我慢すればできること」はやらないほうがいい

ところがかつてのわたしは、こういう自分の本音を言えませんでした。
頑張れば・我慢すれば・やろうと思えばできることを断るのは、不親切だと思っていました。「それはやりたくない」と、感情だけを根拠に人様からの依頼を断るのはわがままだとも思っていました。
「やりたくない」という率直な感情を「不親切」や「わがまま」とジャッジして、そのように感じることすら恥ずべきこととみなしていたのです。

これだけではありません。
わたしには、他人の期待や要求に応じる義務があると思い込んでいました。断るという選択肢はわたしにはないのだ、と。
これは、そうしないと罵倒される、嫌われる、悪いことが起こる等々、親子関係や友人関係にまつわる厭な体験に根差した思い込みです。
大人になった今、自己表現の場で、我慢や無理が必要な依頼を断ったとてなにを困ることがあろうか。わたしがいうことをきかないから腹を立てるような人から嫌われても、困ることはひとつもありません。

感情は優秀なセンサー

嫌われたくなくて頼まれごとや仕事を断らずにひきうけつづけた結果、休職が必要なほどの心身の不調を招いてしまいました。幸か不幸か、わたしはやろうと思えばできることの範囲が広いので、気がつけば大きなストレスをいつも抱える羽目になりがちです。

もちろん、仕事の場においては、大変なプロジェクトや無理めのタスクなどは日々当たり前にあります。スキルや経験値が自分の身につく機会でもあるので、感情の赴くままに断っていたのでは成長できません。そんなことでは会社の業務も回らなくなります。
とはいえ、ふられる仕事すべてを引き受けていたら大変なことになってしまいます。手持ち案件の数や納期、職場での仕事配分のバランス、管理職のマネジメントスキルを総合的に見て判断するのが常識的かと思います。

そして大事なのは、ここでも感情です。

仕事に感情を持ち込むな
気分で仕事をするな
そんなふうに躾けられてきた世代ですから、自分の感情を判断材料にとりこむことには抵抗があります。率直に言って、この点はわたしもまだちょっとそわそわしてしまいます。

しかし、感情はかなり精度のよいセンサーです。無視したとしても「なかったこと」には絶対になりません。

仕事を割り振られたときにイラッとしたり釈然としない気持ちになったら、なぜそう感じるのかを考えてみる。
すると、別件の納期が押しているのが気になっていているとか、引継ぎに不安があるなどみえてきます。

感情を大切にする

感じた感情をそのまま他人にぶつけるのは建設的とはいえません。「なんかイラつくんですけど!」なんて、職場で言ったら人間関係が悪化するか評価が下がるだけですもんね(笑)

「引継ぎ期間が短くて不安です。もう1回ミーティングを希望します」
「〇〇の件が落ち着くまでは着手できそうにありません。それでもいいですか?」
こんなふうに感情をふまえた提案やお願いを言葉にするのが大事だと思うのですよね。望んだような結果は得られなくとも、自分の感情を大事に扱ったという実績が自身の中に残ります。この積み重ねが自分に対する信頼感となり、自分を大切にすることに繋がります。

感情とは、他人をコントロールするものではありません。また、他人から察してもらうものでもありません。自ら感じとり、なにはなくとも自分だけは大切にするものです。
わたしはわたしの感情を大切に扱うという姿勢をちゃんと自分にみせる。これは何歳になっても最優先項目だと思います。
…と、やっと心から言えるようになったことを喜ばしく感じます。