こころの通ひ路

秋の朝日を浴びて眩しそうにするサビ猫

2000年からウェブ上で発信している。最初は趣味の洋裁についてのサイトを作っていた。猫と暮らし始めてからは猫ブログを作った。デジタル一眼レフで撮影した猫写真をせっせと上げてキャッキャウフフしていた。その後、猫ベッド屋をやったりしたのは以前も書いたとおり。


こういうことをやっていると、ウェブ上で知り合う同好の士とのおつきあいが現れては消えてゆく。
洋裁で繋がった人たちのなかで、今でも繋がりのある人はひとりもいない。だいたいがウェブサイトやブログ閉鎖とともに繋がりが途絶えてしまった。今ならSNSのアカウントを消すようなものだと思う。
ネット上での繋がりは、相手やこちらが発信をやめたらそれで途切れてしまうものだ。諦めに似た気持ちで「そんなもんだろ」と思うこともよくある。

思わぬ人からの音信

数日前、このブログのフォームからメールが入った。思いがけない人の名前が件名にあった。
それはわたしが猫ブログをやっていたころに知り合った方だった。

その方は猫との暮らしのための様々な情報をたくさん発信していらした。マメに毎日のように日記を更新されていた。
猫のための安全対策、脱走防止策、猫用サプリメントや多頭飼育をする上での工夫など、膨大な情報量のウェブサイトを運営されていた。猫飼い初心者だったわたしは圧倒されたことを今でもよくおぼえている。その方はサビ猫好きでもいらしたので、サビ猫がいかに賢く美しいかをよく書いてくださっていた。それがサビ猫贔屓のわたしには嬉しかった。

2020.11.14のまる。シグマのレンズの描写力よ。クリック/タップで拡大します

鍋つかみと猫ベッド

その方はたくさんの猫と暮らしていらしたのだが、全頭見送られたこと、今でもわたしのつくった鍋つかみと猫ベッドを大切にしてくださっていることがメッセージに綴られていた。
使う猫さんがいなくなったのに、猫ベッドを「宝物のひとつとして大事に仕舞って」くださっているだなんて、創り手冥利に尽きる。これを読んだ時に、暑い夏の日も足元の冷える冬もせっせと猫ベッドを縫っていた自分の肩を、バンバン叩きたい気持ちになった。よかったなぁ、あんた。

当たり前だが、全工程を自分で縫っていた。市販の猫ベッドは工場で分担作業で作られているけれど、わたしは布選びから裁断、縫製、綿つめはもちろん発送まですべてひとりの手でやっていた。発送伝票も手書きだった。誇張なしに一点ずつに思い出がある。猫が快適で気持ちよくリラックスして身体をあずけられるようにと、心を込めてひとつずつ作っていた。

2021.11.15のまる。ホットカーペットのうえで爆睡

それは自己満足だから、わざわざアピールするほどのことでもない。猫を愛する者なら当たり前の感情だから、自分がそういった心持ちでいたことも慌ただしい日々に紛れて忘れ去っていた。

しかし、今回いただいたメールで、伝わる人には伝わっていたのだとハッとなった。
こんな大切なことを10数年以上経てから教えていただけるとは。
それに、ネット上に残るわずかな繋がりからわたしを探してくださる方がいるなんて思ってもみなかった。
心に留めておりに触れて思い出していただけるだけでもありがたいのに、手を動かして探してくださり、メッセージまで送っていただいた。これがなんともしみじみとありがたく、あたたかい気持ちになった。

心の一瞬の火花のような機微も誰かに伝わっているということを、不思議とも有難いとも感じる。
きっと、若い頃はこんなふうには感じなかっただろう。
歳をとると、なにがほんとうに得難くて貴いことなのかがわかってくる。そういう分別のついた今だからこそ、素直に受け取れたお褒めのことばだったのだろう。

ネットを介しての人間関係なんて希薄で信用に足るものではない、というのも理解できる。
しかし根本は人と人とのつきあいなのだ。手紙とメール、はがきとチャット等、ツールの違いやそれによって生じるいろいろなニュアンスの違いなどはもちろんある。が、相手を尊敬したり時に愛しく感じたり心配したりする心の動きにさほどの違いはないだろう。
久しく足を向けなかった通い路も再び開くこともある。
むこうから再び訪ってもらえるかどうかは、当時の自分の生き様にかかっている気がする。