梅雨が来る前に

気温が30度近くにもなる日がちらほら出てきました。
しかし曇りがちだし雨は降れば大降りだし、爽やかな初夏とは言い難いお天気が続いています。

バラが佳境

実家の庭のバラも咲く端から雨に打たれて傷んだり散ったりしています。かわいそうと言いながら母はバラをどんどん切って部屋中に活けてまわっています。とうとう「あんた、持ってくでしょ?」と、わたしにもバラのお裾分けがやってきました。

アンジェラ
濃いピンクのバラのアップ画像
白いバラ、コーラルピンクのバラ、青み系ピンクのバラ
アプリコットカラーのロゼット咲きのバラ

わたしはわたしで、梅雨が来る前にゼラニウムの植えかえと観葉植物の株分けをしたくて、今朝は7時すぎから作業していました。すごい湿度だったので汗だくになりました。
今の部屋は観葉植物がなぜか増えるのです。タマシダが4鉢にもなったので、株分けしたものが根付いたら母にひきとってもらう予定です。実家で日陰に植えてもらうほうが、タマシダにとってもいいでしょう。

なぜおばさんは花の写真を撮るのか

2ヶ月ぐらい前でしょうか。SNSで「なぜおばさんは花の写真ばっかり撮るんだろう」という嘲笑気味の投稿を見ました。
たしかに母のiPhoneの写真フォルダも庭や公園などで撮った花の画像が多いです。(母は「おばさん」というよりもう「おばあさん」ですが…)
わたしの写真フォルダは猫・食べ物・風景・花というかんじで、あまり人物は撮りません。美しい・綺麗・すばらしい・かわいいと思ったものだけ撮りたいので、いきおい、こうなります。

興趣をそそられるものだけ写真に収めたいし、花のように刻々と美しさを変えて儚く散ってしまうものであればこそ、その姿を留めたい。それだけなんですけれどもね。

一瞬を留めたいと思ったものを撮る。それのなにがいけないのかをむしろ問いたい。
写真の被写体まで他人に決められたくないわ。他人を嘲って浸る優越感など、ちっぽけで窮屈ですやん。

花や植物を美しいと思う感性があるのは、生きる力のバロメーターでもあるとわたしは思っています。
毎晩、「このままもう目が覚めなければいいのに」と思いながら寝ていたころ、庭のバラの美しさに心を救われていました。
「今日死のう」と決めた日に、校舎の窓から眺めた国際基督教大学の樹々の美しさに驚き、見惚れ、もう少し生きようと思った時のことも忘れていません。