2025年2月18日の朝、叔母が逝去した。享年80歳だった。
母の弟の配偶者である叔母とは血のつながりはないものの、聡明で明るくユーモアのセンスと思いやりのある彼女がわたしは大好きだった。ジャッジと支配に溢れた家庭にあってしんどい娘時代を過ごしていたわたしは、叔母と話すといつも元気をもらえた。洞察力と表現力のある賢い人からもらう親身なことばは、わたしの心の深いところにまで届くものであった。
亡くなる4日前に話した時も、「(あなたが離婚して)戻ってきて近くに住んでくれて、お母さんはとても安心したと思うのよ」と、はっきりと叔母は言ってくれた。わたしが離婚した直後にも同じ言葉をかけてくれていたので、叔母の本心からの言葉だろう。いつも温かく励ましてくれる人だった。
東大時代に恩師からスタンフォード大学への奨学生枠を打診されたのに、叔母は、数日悩んだ末に叔父との結婚を選んだ。そんな逸話を今回知って、わたしは唖然とした。いやそこはスタンフォードやろ!…というより令和の今ならどちらも諦める必要ないのでは?
叔母は今でいう「バリキャリ」だった。叔母が就職したころは、働く女性は結婚までの腰掛けとか揶揄される1960年代末だ。昭和真っ只中で、三人の子どもを育てながら仕事を諦めない彼女の姿勢をわたしは尊敬していた。男女雇用機会均等法すらなかった時代に、大企業で男性とわたりあいながら働く苦労ははかりしれない。叔母は退職後は自身の会社をたちあげて事業主でもあった。
嗟々、惜しい人を亡くした。ほんとうに。
元気で活動的な彼女が、高齢になっていきなり難病を得たときは驚いた。まさに晴天の霹靂で、本人も亡くなる直前まで「どうしてこの病気になったんだろう。それが不思議でならない」と言っていた。
80歳まで生きたのだから大往生のうちと世間では言われるのかもしれない。でも、親類縁者からしたら早すぎた。
手を動かせ
通夜、告別式、骨上げが終わり、悲しみと喪失感と疲労でぼんやりしてしまった。姪のわたしですらこうなのだから家族はいかばかりかと思う。
悲しみに浸ってしまうと火曜日からの通常業務に戻れなさそうだし、叔母を偲びつつ手を動かすことにした。心を癒すには集中できるものを持つに限る。ややもすればぼうっとしてはグズグズと鼻を鳴らし重くなりがちな腰をあげ、土佐文旦を買いに行ってきた。
叔母の妹にあたる人が、「文旦がたくさん届いたから」とタッパにたくさん剥いた文旦を持ってきてくれて、精進落としの席でみんなに配ってくれた。味の濃い仕出し料理の合間に食べる文旦はおいしかった。なにより、その心遣いがホスピタリティに富む叔母のふるまいを彷彿とさせ、ありがたいやら寂しいやらであった。だからわたしも文旦を剥こう。なんでここで「だから」となるのかは問わないでほしい。わたしかてわからん。

生産者ごとに異なる文旦の味
毎年、2月のどこかの週末で、近所の長屋で文旦を売る催しがあるのだ。昨日はそこへ並んで文旦を9個買ってきた。4つは実家へ、残りはわたしがせっせと剥いて食べる。
高知の中でも東の安芸市から西の宿毛市まで、文旦の栽培農家は広がっている。いろんな生産者の文旦をひとつずつ買ってみた。そう、食べ比べてみるのも楽しみのひとつだ。わたしが買ったものがたまたまそうなのかもしれないが、今年は西のほうの文旦は果肉の粒が小さくきめが細やかな気がする。
分厚い文旦の皮を剥き、房をとりだして甘皮を剥いては果肉から種を外す。ツヤツヤとした果肉を黙々とタッパに入れてゆく。寒い台所での作業で手指の感覚がなくなってくる。透きとおった淡い黄色の果肉の美しさに見惚れながらの作業で、嫌ではない。なんといってもいい香りだし、静かな土曜日の午後の過ごし方としては最高だ。
文旦の皮を捨てるのはもったいない

2個も剥くと、外皮がかなりの量になる。文旦の皮なんて苦いから使い途ないかしらと思ったものの、検索してみたらオレンジピールならぬ文旦ピールが作れるそうだ。
皮から白い部分を半分ぐらい取り除き、3、4回ゆでこぼし、一晩水に晒してアクを抜いて砂糖で煮る。その後乾燥させて仕上げにグラニュー糖をまぶすだけ。早速やってみた。


難しいことを考えずにひたすら手を動かせばいいので、気持ちが落ち着いてゆく。
一晩、たっぷりの水に晒してから短冊状に切った後、砂糖と少量の白ワインで中火で煮詰める。文旦の大きさに個体差があるから、短冊も大きさがまちまちになってしまう。それをできるだけ大きさが揃うように考えながら切るのもたのしい。


いくつかのレシピを比べてみたが、100度のオーブンで焼いて水分をとばすレシピが主流のようだ。が、関東の冬は乾燥して寒い。これを利用しない手はない(とはいえ1日以上かかる)。わたしは自然乾燥させるほうを選んだ。
粗熱がとれた文旦の皮を、ひとつずつ塗り箸でひろげてゆく。(菜箸よりも漆塗りのお箸の方が果肉を傷めないで済む)
砂糖の甘やかなにおいと文旦のいい香りに、心も癒されてゆくのを感じる。

1日「以上」乾燥させよとレシピには書いてある。だが、今回は白い綿の部分が薄めのせいか、24時間でも十分そうだった。
というわけでグラニュー糖をまぶして出来上がりとしたのだけれども…タッパーの蓋をして少し時間が経ったら、まぶしたグラニュー糖がしっとりしてきてしまった。やはり1日以上乾燥させたほうがよかったのかもしれない。
このまま食べるのは、苦味が非常に苦手なわたしにはちょっと厳しい。ほろ苦いものが大好きな人には紅茶や緑茶のお供によさそうだ。細かく切ってパウンドケーキに入れたり、チョコチップと一緒にココア生地にいれてマフィンにしても絶対においしい。
おいしいものが大好きな叔母を偲びつつ、少しずつ食べることにしよう。
参考にしたサイトは下記です。広告がひどいので広告ブロッカーの入っているスマホか、もしくは広告非表示にできるブラウザからご覧ください。https://allabout.co.jp/gm/gc/185783